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2010年8月17日火曜日

1356 kabasawa ほどよい難易度の小さな目標(マイルストーン)を 刻むことで大目標を達成できる。目標達成が苦手な人は、「小目 標」の立て方が下手なのだろう。難しすぎず、簡単過ぎない。ほど よい難易度の「小目標」を立てたとき、最も「やる気物質」ドーパ ミンは分泌される 10:45 AM Aug 16th webから あなたと71人がリツイート

kabasawa    ほどよい難易度の小さな目標(マイルストーン)を 刻むことで大目標を達成できる。目標達成が苦手な人は、「小目 標」の立て方が下手なのだろう。難しすぎず、簡単過ぎない。ほど よい難易度の「小目標」を立てたとき、最も「やる気物質」ドーパ ミンは分泌される 10:45 AM Aug 16th webから あなたと71人がリツイート



jipangu_tammy    暴落は8週間である。これ以上暴落しない。何 時から8週間か?其れが分かれば楽しいよね。僕らは終わりを◎月◎ 日から◎月◎日としている。逆算するともうやがて下落の始まりが来 るのだ 38分前 webから あなたがリツイート



OshoUFO    唐招提寺講堂 #butsuzo http://tweetphoto.com/ 39529059 38分前 TwitBird から あなたがリツイート



brucelee_dragon    他の人々に打ち負かされることは恥ではな い。重要なのは、倒れそうな時に「なぜ自分はやられているの か?」と自問することだ。もし、こういうふうに熟慮できるのであ れば、その人にはまだ望みがある #bruce_lee 38分前 API から あなたと1人がリツイート



CHICAUMINO    実は今週末から、取材を烈しくからめた旅行に 出ます。私は多くても二泊三日の旅行メインなのですが、今回はも ちょっと宿泊数が多いので楽しみです。あと、ちょっと不安です 荷物が増えると体力を使うので、同行の皆様に迷惑をかけずにすむ ように持ち物チェックに必死です 37分前 ついっぷる から あなたがリツイート



jipangu_tammy    これまで世界を牽引した未熟な中国、其の中国 の崩壊がバブル崩壊、と恐い話が出てくる 37分前 webから あなたがリツイート



jipangu_tammy    バブルとは未熟な資本主義に未熟な人間たちが 集合したマネーゲームに過ぎない。ゲームは何時も同じ終わり。融 産が未熟な人たちに贈られる。天与のプレゼントを実力と勘違いし た人たちの崩壊、資産の逃避が始まる 37分前 webから あなたがリツイート



MEIGENNOW   「何かを始めたいのになかなか行動を起こせない 人がスタートを切るには、「形から入ること」。これが意外に効果 的なのです。 」 =斎藤茂太(精神科医)= [名言NOW] 37分前 TweetDeck から あなたと13人がリツイート



ishimaruakiko    非常にほしい情報。検索しても、なかなかひっ かからないし、自治体によっては情報の公開もちゃんとされていな い。RT @ mainichiRT: 廃校活用で文科省がHP作成。999校手つかず http://ow.ly/2qxB9 … 35分前 YoruFukurou から あなたと1人がリツイート



k0150    異なる風景が放つパワー。人は場の空気から多様な情報 をスキャンし、それを自分の文脈に再構成しようとする。その再構 成された枠組を《構え》と呼ぶことにする。新たに獲得された構え は、過去の理解を書き換え、見えなかった道を拓くこともある。このプロセスこそが愉しみの素。特に過去の長い大人は 32分前 Twitterrific から あなたがリツイート



yuuhey    ポテチつまみ器ヒット 指べたつかず「ながら食べ http://t.asahi.com/7jc 32分前 webから あなたがリツイート



TrinityNYC    そうなんだ。訂正します。RT @ makwn: @@ TrinityNYC 余談ですが、アイヌはアイヌでよくて、「アイヌ人@ とか「アイヌの人たち」と言わなくていいのよ、と北海道の二風谷 というところでアイヌに言われました。懐かしいな、みなさん元気 かなあ 31分前 Hoot

2010年6月12日土曜日

2010-06-10 めぐみ会の講演(内田樹 氏のブログをコピーしています)


2010-06-10 めぐみ会の講演、ほか 北方領土問題は旧ブログのほうにアップしておきました。読んでください ね http://blog.tatsuru.com/

めぐみ会の講演で、「右肩下がりの日本をどう生きるか」というお題で1時 間半ほどおしゃべり 会場は同窓生のみならず、そのご家族、おともだち、近隣の市民で満席 お断りしなければならなかった方も多かったそうで、この場をかりて、お礼と お詫びを申し上げます 日本の未来についてはほとんどしゃべらず、北方領土と沖縄基地問題と日米 問題、マスメディアの問題などについて暴論奇説を展開 本学の同窓生のおばさまたちはこの種の批評性にたいしては総じて寛大なの で、私の話を聴いて「まあ」と柳眉を逆立てる方もおらず、無事に講演終了 質疑応答とサイン会が長引き、50分遅刻して、次の光文社とのセッションに 駆け込む

街場のメディア論』(仮題)の仮打ち上げである まだ書き終わっていないのだが、あと20枚くらい書けば、だいたい250枚。新 書一冊分になる 8月中旬に刊行予定 来週ワルモノ先生との往復書簡本『若者よマルクスを読もう』(昨日のツイッ ターで書いたタイトルは間違ってましたね「読め」じゃなくて「読もう」でし た。自分の本のタイトル−それも自分でつけた−を間違えてはいけません) が出ます そのあと釈先生・名越先生との共著『現代人の祈り−呪いと祝い』(これは武 田鉄矢さんに帯を書いていただきました。武田さん、ありがとうございま す) そのあと8月がこの『街場のメディア論』、10月には小学館から『街場のマン ガ論』。筑摩書房から『武道的思考』(仮題)が出て、中沢新一さんとの対談 本が出て・・・と、だんだん月刊ウチダ状態になってきました どうぞよろしくお付き合いください。

光文社新書のこれまでの担当だった古谷さんは取締役電子出版部部長になっ てしまった(聴くだにご苦労の多そうなポストである)し、永吉さんはHER Sという50代のリッチなおばさま雑誌に異動してしまい、こんどの担当は 森岡さんという方 とりあえず顔合わせということで並木屋に行って、美味しい物を食べなが ら、50代のリッチなおばさまたちのファッションと美容術について驚くべき 現場からのレポートをうかがい、森岡さんと映画の話をしているうちに、ど ういう女優が好みかという話になり、キム・ノヴァク、シャーリー・マクレー ン、ローレン・バコール、キャサリン・ロス、デボラ・アンガー、アン・ハサ ウェイと続く私の「ひらめ顔」への固執をカミングアウトする羽目になる 眼と眼のあいだに微妙な空間があると、そこに吸い込まれそうな気になるの だ そういえばうちの奥さんもちょっと・・・ わいわい騒いで、美味しいものを食べ尽くして、三人とお別れして、今度は 白鷹禄水苑で開かれている辰馬朱満子さん主宰の「西宮在住古典芸能継承者 の会」(みたいな名前の会) にお招きいただいていたので、そちらに顔を出 す 小鼓の久田先生と、講談の旭堂南陵さんと毎日新聞の油井さんという方がい らしていて、とりあえず白鷹の原酒の美味しいのがじゃんじゃん出てくるの で、ご挨拶もそこそこにお酒を飲む そこにご近所のシテ方の上田拓司さん、寺澤幸祐さん、狂言師の善竹隆司さ んも加わって、芸能とはあまり関係のない「怪奇現象」やUFOの話になる 南陵さんは「そういう話は信じない」と言われるので、私は「香港猫の祟り と「尾山台上空UFO遭遇事件」の当事者として、「人知を越えるできごとっ て、あるんですよ」と強く反論。自宅の能舞台に「何かが出る」と証言された 上田拓司さんともども「世にも怪奇な物語」を繰り出しているうちに気がつ けば日付が変わっていた-- うちだ : 10:3 2010-06-07

2010年6月10日木曜日

010-06-07 こんにちは みなさん、こんにちは なんか、他人行儀ですが(まあ、他人なんですけど) サーバがあまりにダウンするので、…

010-06-07 こんにちは みなさん、こんにちは なんか、他人行儀ですが(まあ、他人なんですけど) サーバがあまりにダウンするので、とりあえず、ここに避難することにしま した 使い勝手がまだよくわからないので、なんだか、他人の家の離れに間借りし ているような気分です いろいろご迷惑をおかけしましたが、これからもどうぞよろしくお願いしま す それからIT秘書のみなさん、どうもいろいろご高配ありがとうございまし た トーザワくんのおかげでiPadをいちはやくげとしましたので、これからはiPad で投稿できるようにがんばります たぶんうちの大学の教職員ではぼくがiPad第一号だと思います(へへ) グーグル携帯のときも芦屋のdocomoで「お客さんが最初です」(7月10 日発売の機種を12日購入したんです〜)と言われましたけど、今回も5月28 日発売日に買いましたからね 電子ガジェットにほんとに目がないんです。メカには弱いのにね とりあえず、こんな感じで でも、なんか入力方式が違うと、ツイッターみたいな文体になっちゃいます ね。変なの-- うちだ : 19:50

2010年6月7日月曜日

uchida : 2010年05月20日 豊臣秀吉の幻想 (内田樹の研究室から転載しています)

豊臣秀吉の幻想



続いて大学院のゼミ。
本日のお題は「韓国と日本」。
日韓問題はたいへんむずかしい問題である。
あらゆるむずかしい問題がそうであるように、この問題がたいへんにむずかしいものであるのは「日韓問題については、最適解があり、私はそれを知っている」と主張する人たちが複数いて、かつ彼らのあいだで合意形成ができていないからである。
通常、このような場合には「それらはどれも『最適解』ではない」と判断する方が生産的である。



そうすると問題の次数を一つ上げることができるからである。
「なぜ、日韓問題については当事者全員が合意できる『最適解』が存在しないのか?」
この問いについてなら、とりあえず対立している立場のあいだでも冷静に意見交換できる可能性がある(「可能性がある」だけで、もちろん「やってみたらやっぱり泥仕合」という可能性もあるが)。
まあ、やらないよりはまし・・・くらいの期待度で、その「なぜ?」についてゼミで考えてみる。



「なぜ、日韓問題については当事者全員が合意できる『最適解』が存在しないのか?」
私の意見を申し上げる。
その一因は「日本」と「韓国」という現存する国民国家の枠組みを過去に投影して歴史問題を論じているからではないかというものである。
過去のできごとのうちには「過去の時点」に立ち戻ってみないと、その意味がわからないものがある。



そういうものについては、いま・ここ・私を「歴史的進化の達成点」とみなし、そこから逆照明して解釈することは適当ではない。
歴史は別に進化しているわけではないし、人間は時代が下るごとにどんどん知的・倫理的に向上しているわけではない。
今の私たちにはうまく理解できないものが、過去の人々のリアルタイムの現場においては合理的かつ適切なふるまいだと思われていたということはありうる。
それを現在の基準に照らして「狂気」とか「野蛮」とかくくっても、あまり生産的ではない。



というのは「狂気」や「野蛮」というタグをつけて放置されたしたものはなかなか「死なない」からである。
「正しく名づけられなかったもの」は墓場から甦ってくる可能性がある。
私がそう言っているのではない。マルクスがそう言っているのである。
「狂気」や「野蛮」を甦らせないためには、それが「主観的には合理的な行動」として見える文脈を探り当て、その文脈そのものを分析の俎上に載せる必要がある。

今回の発表で気になったのは、「豊臣秀吉の朝鮮侵略」の扱われ方である。
ふつうはこれを「大日本帝国」の「李氏朝鮮」侵略の先駆的なかたちであり、本質的には「同じもの」だと考える。



私は簡単にこれを同定しないほうがいいと思っている。豊臣秀吉の時代に「国民国家」という概念はまだ存在していないからである(政治史的に言えば、国民国家の誕生はウェストファリア条約以前には遡らない)。
では、
豊臣秀吉は何を企図していたのか。
彼はそれまで分裂していた日本列島を統一した。列島の部族を統一したので、「次の仕事」にとりかかった。



それは「中原に鹿を逐う」ことである。
華夷秩序の世界では、「王化の光」の届かない蛮地の部族は、ローカルな統合を果たしたら、次は武力を以て中原に押し出し、そこに君臨する中華皇帝を弑逆して、皇位に就き、新しい王朝を建てようとする。
華夷秩序のコスモロジーを内面化していた「蕃族」はシステマティックにそうふるまってきた。



匈奴もモンゴル族も女真族も満州族も、部族の統一を果たすと、必ず中原に攻めのぼった。
そのうちのいくつかは実際に王朝を建てた。
豊臣秀吉は朝鮮半島を経由して、明を攻め滅ぼし、北京に後陽成天皇を迎えて「日本族の王朝」を建てようとした。その点では匈奴の冒頓単于や女真族の完顔阿骨打やモンゴルのチンギス・ハンや満州族のヌルハチとそれほど違うことを考えていたわけではない。
華夷秩序のコスモロジーを深く内面化した社会集団にとってそれは「ふつうの」選択肢と映ったはずである。



もし、このとき豊臣秀吉の明討伐が成功した場合(その可能性はゼロではなかった)、この「日本族の王朝」は、モンゴル族の王朝である元、漢族の王朝である明に続く、漢字一字のものとなったはずである。
仮にそれが短命のものに終わり、日本族は列島に退き、そのあとを満洲族の王朝である清が襲った場合でも、この王朝名はたぶん「中国史」の中に歴代王朝の一つとして記載され、日本の中学生たちは「世界史」の受験勉強のときに、その王朝名とその開始と滅亡の年号を暗記させられたはずである。



だって、それは「中国の王朝」だからである。
そんなはずはない。それは日本人が勝手に侵略して建てた王朝だから、中国の王朝には数えないということをおっしゃる人がいるかも知れない。
だが、それだと、夏も殷も周も出自は怪しいし、元と清はむろん正史からは削除されねばならぬし、金や遼も「テロリスト集団による漢土の不法占拠」として扱われねばならない。
秀吉の朝鮮半島への軍事行動は「辺境の列島に住む一部族が、ローカルな統一を果たしたので、半島に住む諸族を斬り従えて、大陸に王朝を建てようとした(が失敗した)」という、華夷秩序内部の「できごと」として考想されていたはずである。



侵略した日本人も侵略された朝鮮人も侵略の報を受けた中国人もたぶん「そういうふうに」事態をとらえていたのではないかと思う。
勘違いしてほしくないが、私は別に「だから、
豊臣秀吉の朝鮮半島侵略は歴史的に正当化される」というようなことを言っているわけではない。
「辺境の一部族が幻想的な王朝建設を夢見て、周辺地域に大量破壊をもたらした」という事実に争う余地はない。



そんなことをしないで列島でじっとしていればよかったのに、と私も思う。
ただ、その「幻想」がどういうものであったのかを見ておかないと、「どうして」そんなことをしたのかはわからない。
どうしてそれをしたのかがわからないことは、どうしてそれをしたのかがわかることよりも「始末に負えない」。



それは繰り返される可能性がある。
秀吉の朝鮮侵攻を論じた史書はあまり多くない。
その多くが「秀吉の行動は不可解」としている。
中には「秀吉は晩年、精神錯乱に陥っていた」という説を立てているものもある。
「気が狂っていた」ように見えるのは、その歴史学者が現代人の国民国家観を無意識に内面化したまま、そのようなものが存在しなかった時代の出来事を解釈しようとしているからではないかと私は思う。





明治維新の後に西郷隆盛は「征韓論」を唱えた。
この唐突なプランもまた現代の私たちにはほとんど理解不能である。
歴史の教科書は「西郷は外部に仮想敵を作ることによって、国内の士族の不満をそらそうとした」という「合理的」な説明を試みるが、そうだろうか。
豊臣秀吉と同じように「部族が統一されたら、次は『中原に鹿を逐う』事業を始めなくてはならない」という「中華思想内部的」な思想が西郷隆盛のような前近代的なエートスを濃密にもっていた人間には胚胎された可能性は吟味してもよいのではないか。
大久保利通と西郷隆盛の間の国家論的な対立を「華夷秩序コスモロジー」と「帝国主義コスモロジー」の相克として理解することはできないのだろうか。



事実、その後、日本が江華島条約で朝鮮半島への侵略を企てたとき、日本は直前に経験したペリーによる砲艦外交を再演し、陸戦隊による砲台の占拠では、四カ国艦隊による長州下関砲台占拠の作戦を再演してみせた。
これは日本が「華夷秩序のコスモロジー」を離れて「帝国主義のコスモロジー」に乗り換えたことの一つのメルクマールのように私には見える。

ある社会集団の「狂気じみた」ふるまいの意味を理解したり、次の行動を予測したりする上では、その集団の「狂気じみたふるまい」を主観的には合理化していた幻想の文脈を見出す必要がある。



繰り返し言うが、それはそのふるまいを「今の時点」で合理化するためではない。
私たちもまた今の時点で固有に歴史的なしかたで「狂っている」ことを知るためである。
国民国家のあいだの「和解」は、「私たちはそれぞれの時代において、それぞれ固有の仕方で幻想的に世界を見ている」ということを認め合い、その幻想の成り立ちと機能を解明するところから始める他ないと私は思っている。
もちろん、私に同意してくれる人はきわめて少数であろうけれど。




uchida : 2010年05月26日 ルーツについて、ほか。 (内田樹の研究室から転載しています) 

ルーツについてほか



忙しくてブログ更新できず。備忘のために速足でこの一週間の出来事を記しておく。
ツイッターには書いているんだけど、あれ備忘録としては機能しないですね。内容が散漫すぎて。



5月16-17日。
鶴岡宗傳寺にて法事。母、兄夫婦、従兄の雄介・成子ご夫妻、そして私。
雄ちゃんから内田家の家系図を示され、いろいろと祖先について学ぶ。
すでに何度か書いたことだが、内田の本家は埼玉県比企郡嵐山にある(亡父の代までは行き来があったそうだが、私は行ったことがない)。



私の高祖父にあたる内田柳松(りゅうまつ)がその家督を弟に譲って江戸に出た。
神田お玉が池の北辰一刀流玄武館で修業し、浪士隊の一員として京都に上り(柳松は一番隊隊士。六番隊が近藤勇率いる試衛館のみなさん)、彼らと訣別して、清河八郎とともに江戸にもどり、庄内藩預かりの新徴組に加わった。彰義隊の戦いのあと藩主酒井忠篤(ただずみ)を護衛して庄内に下り、戊辰戦争を戦った。



わりとスペクタキュラーな人生を過ごされたご先祖さまなのである。
柳松さんが庄内藩士であったのは、ほんのわずかな期間であるが、その恩を多として、明治維新後もそのまま鶴岡にとどまった。
家老の松平家から養子をもらい、その人が曾祖父の維孝(いこう)。
維孝さんはもとは会津藩の人。白虎隊に入ろうとしたが、年齢が足りなくて家に戻され、生き延びた。その点は柴五郎に似ている。
どういう事情で庄内藩の家の養子になったのか、その事情はつまびらかにしないが、庄内藩と会津藩は軍事同盟関係にあったから、藩士のあいだにも人的交流があったのかもしれない。





その後さらに松平家から内田家に養子に入った。その事情もわからない。
内田家はずいぶん貧乏だったらしく、維孝さんの子どものうち二男孝次が武田家に、三男信吉が鈴木家に養子に出された。長男重松、四男信次、五男五郎、七男清が内田姓を継いだ(六男は夭逝)。
私の祖父重松(しげまつ)は維孝さんの長男である。
祖父は私が生まれる前に死んだが、祖母高井(たかい)さんは長く生きて、ときどき岳父から聞いた白虎隊のことや庄内藩酒井家の当主のお姫さまの遊び相手に選ばれたことなどを話してくれた。



「賊軍」庄内藩と会津藩の流れを汲む一族であるから、明治時代はずっと冷や飯食いであった。内田家の人たちに歴代「へそまがり」が多いのはたぶんそのせいであろう。
内田の嵐山の本家の先代は内田範次郎さんとおっしゃる方である。戦後の食べ物がなかった時期、私の父はよく本家までお米を貰いに行ったそうである。本家は父たち兄弟を歓待してくれたそうで、父は本家とのつながりを大事にしていた。
当代は内田康憲さんという方である。その血筋の方々が埼玉にはおいでになると思う。
退職して時間ができたら、一度「ルーツ」をたどる旅をしてみたいものである。



5月17日。
飛行機で庄内-羽田-伊丹。そのまま大学で学部長会。
5月18日。
大学でゼミ二つ。小学館の取材。お題は親子関係。
5月19日。
会議、朝日新聞の取材、島崎徹さんとのトークセッション授業のあと、『Sight』の担当者だった大室みどりさんとご飯を食べる。
就職と結婚の二大身の上相談を同時にされる。
結婚予定のお相手の名前を聴いてびっくり。ええええええええ。
いつのまに、そんなことを。



5月20日。
授業、面談、そのあと『考える人』の「日本の身体」のための対談。お相手は平尾剛さん。場所は引越したばかりの阪神御影のペルシエ。
お野菜はもちろん淡路島の橘真さんの提供である。
競技スポーツと学校体育とスポーツメディアについて、ふたりでたいへん「辛口」のコメントをする。



5月21日。
ゼミ、会議、NHKの取材、会議。それから朝日カルチャーセンターで名越康文先生との対談。
NHKの取材はテレビ。
ふだんはテレビの取材は受けないのだが、これはNHKワールドという外国向けの英語放送で、「日本国内で見る人はいません」ということなので出演を承諾する。
日米関係の話をする。
名越先生との対談はいったい何を話したのか、三日経つともう何も覚えていない。

たいへん面白かったことだけは覚えている。
二次会で名越先生が「実名全開トーク」。絶対活字にできない話。



5月22日。
第48回全日本合気道演武大会のために東京の日本武道館へ。
毎年自慢するように、私はこの演武会に1977年から皆勤である。34回連続で出場しているのである。
一度も風邪も引かず、急な仕事も入らず、冠婚葬祭とぶつかることもなかった。
出場者7500人のうち、34回連続出場はその1割に満たぬであろう。
この記録をどこまで伸ばせるか。



演武後、例年のように九段会館屋上にて多田先生主宰のビールパーティ。
北澤くん、タカオくん、のぶちゃんら気錬会の諸君と歓談。
東大気錬会と早稲田合気道会の現役の幹部のみなさんが来る。
日曜の三大学合同稽古会で私が指導をすることになったので、そのご挨拶。
さわやかな方たちである。
二次会をパスして等々力の母の家へ。
朝早かったのであまりお話もせずにすぐ爆睡。



5月23日。
母の手づくり朝ご飯をいただき、早々においとま(せわしなくてすみません、お母さん)
早朝より(9時半はウチダ的には「早朝」である)駒場の第一体育館にて三大学合同稽古。
ひさしぶりのイベント。
鍵和田くんと原くんが両大学の主将だったときにうちも呼んでもらって、いっしょにお稽古をしたのが始まり。
駒場で稽古するのはヒロタカくんが気錬会の主将だったとき以来である。
お昼に稽古が終わり、坪井兄、梶浦兄にご挨拶してから、当代主将の松村くん、先代主将の中村くんに見送られて駒場をあとにする(みなさん、お世話になりました!)
渋谷に出て平川君と会って、新宿御苑のラジオカフェでラジオ収録。
お題は普天間問題とツイッター。





日曜の無人のオフィスでコーヒーを飲みながらわいわいとおしゃべり。
雨の中、平川くんの車で東京駅まで送ってもらって、こんどは筑摩書房の吉崎さんと打ち合わせ。
また本を一冊書くことになってしまった・・・
5月24日。
高橋源一郎『「悪」と戦う』と村上春樹『BOOK3』をめぐる鼎談(沼野充義、都甲幸治さんと)を仕上げて送稿。
大学で修論の面談、部長会、ミッションステートメントについて管理職会議、AERAの取材。メディアの普天間報道について批判(平川くんやジローくんも書いているとおり、マスメディアの普天間報道は「米軍基地の全面撤去」という主権国家としての当然の要求を抑圧している)。



それからAERAのみなさん(大波さん、市川さん、小境さん)と三宮に出てKOKUBUでステーキ。國分さん、ごちそうさま。
5月25日。
下川先生のお稽古。それから授業二つ。授業のあいまに原稿を書いていたら、毎日新聞から電話取材。「事業仕分けについてどう思うか」というお問い合わせ。
「諸悪の根源」を想定して、それを除去すれば万事解決という発想は「供犠儀礼」的なものであり、短期的には有効だが、長期的には市民的成熟を妨げるので運用は慎重に、ということを申し上げる。



制度改革というのはできるならば怒号や罵声の中でなされるべきものではない。
できうるならばそれは「それぞれの分野における職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規律にしたがって管理、運営されるもの」でなければならない。
そこにはできるだけ政治イデオロギーや市場原理が介入すべきではない。
これを宇沢弘文先生は「フィデュシアリー(fiduciary)の原則」と呼んでいる。(宇沢弘文、『社会的共通資本』、岩波新書、2000年、23頁)



Fiduciary とは「受託者、被信託者」のことである。
それは私の用語で言えば「大人」ということである。
システムの保全と補修を主務とし、そのことについて誰からも賞賛も報酬も求めない「雪かき」の別名である。
私たちの国の不幸は、官僚にも政治家にも「大人」が少ない、あまりにも少ないということである。
大学院ゼミは「○○と日本」の○○には好きな国名を入れて毎回それを論じるという比較文化論のゼミである。



今回は「ユダヤと日本」
土曜日に日本ユダヤ学会の公開講演で「どうして日本人はユダヤ人の話をしたがるのか?」という演題で話すことになっているので、それについて考えながら発表を聴く。
考えた末の、私の結論は「日本人は本質的に日猶同祖論者的である」というびっくりものである。
どうしてそういうことになるのかは土曜日の講演でお聴きください。
学会員でないかたもご来聴になれます。
とき:5月29日(土)15時から
ところ:早稲田大学戸山キャンパス36号館382教室




uchida : 2010年05月26日 マトグロッソ始まりました。 (内田樹の研究室から転載しています)

マトグロッソ始まりました

お待たせしました、ようやくマトグロッソ始まりました
やれやれです。
http://www.matogrosso.jp/
ブックマークしておいてくださいね。
いろいろな企画があるんですけれど、NSPもその中にあります。

いよいよ本格的にストーリー募集です。

募集要項
National Story Project Japan

みなさん、こんにちは、内田樹です。
ポール・オースターの『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』の「日本版」を作成することになりました。
お読みになった方はご存じですよね。新潮社とアルクから訳が出てます。翻訳は柴田元幸さんたち。
『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』はどういうものかと申しますと、アメリカのいろいろな普通の人たちに寄稿してもらったショート・ストーリーの中から佳作をラジオでポール・オースターが朗読するという、それだけのものです。
でも、これが面白いんです。
ポール・オースターはラジオで、どのような物語を求めているかについてこんなふうに話しました。



「物語を求めているのですと、私は聴取者に呼びかけた。物語は事実でなければならず、短くないといけませんが、内容やスタイルに関しては何ら制限はありません。私が何より惹かれるのは、世界とはこういうものだという私たちの予想をくつがえす物語であり、私たちの家族の歴史のなか、私たちの心や体、私たちの魂のなかで働いている神秘にしてはかりがたいさまざまな力を明かしてくれる逸話なのです。言いかえれば、作り話のように聞こえる実話。大きな事柄でもいいし小さな事柄でもいいし、悲劇的な話、喜劇的な話、とにかく紙に書きつけたいという気になるほど大切に思えた体験なら何でもいいのです。いままで物語なんか一度も書いたことがなくても心配は要りません。人はみな、面白い話をいくつか知っているものなのですから。」(『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』、ポール・オースター編、柴田元幸他訳、新潮社、2005年、10頁)



そうやって集まったショート・ストーリーは4000通を超えました。
それはあらゆる場所の、あらゆる年齢の、あらゆる職業の語り手による、信じられないほどに多様な「作り話のように聞こえる実話」。それを読んでいるときポール・オースターは「アメリカが物語を語るのが私には聞こえた」(11頁)と感懐を述べています。
どのような物語が収集されたかは実物を徴していただくとして、このプロジェクトの日本版をやることになりました。



どういう事情でぼくと高橋源一郎さんがこのプロジェクトにかかわるようになったのかについてなど事細かに話す機会はいずれあると思いますが、とりあえずはお知らせ。
「物語を求めています。」
「本当にあった『嘘みたい』な話」

ある出来事を「嘘みたい」と思うか、「そんなのよくあることじゃないか」と思うかの識別の基準は客観的なものではありません。それはあくまで主観的なものです。「嘘みたい」と思うときに、その人の、余人を以ては代え難い、きわだった個性が露出する(ことがある)。たぶん、そうなんだと思います。つねにそうなるとは限りませんけれど、そういうことが起こる確率が高いはずです。



「その人にとってはあり得ないはずのこと」があり得たという事件を語るさまざまなアメリカ人の証言を通じて、ポール・オースターは「アメリカが物語るのを聴いた」のでした。同じようにして、ぼくたちも、「日本が物語るのを聴いてみたい」と思います。




■テーマ
トライアルをやって何十通か応募原稿を拝見してみましたところ、選択される主題にかなり「偏り」があることがわかりました。それなら逆に、テーマを自由に選んでもらうより、こちらからテーマを指定して書いてもらった方がむしろ面白いものが集まるかな・・・と考えたので、テーマ指定で募集することにしました。
とりあえず第一次募集(第二次募集のときはまた告知します)のカテゴリーは以下の通りです。ご自分のストーリーはどのカテゴリーのものかを原稿に明記して応募してください。



「犬と猫の話」
「おばあさんの話」
「マジックナンバーの話」
「ばったり会った話」
「もどってくるはずがないのに、もどってきたものの話」
「そっくりな人の話」
「変な機械の話」
「空に浮かんでいたものの話」
「予知した話」
「あとからぞっとした話」



以上10個が第一次募集のテーマです。
適当に今書きだしたんですけれど、ぼくはたちまち三つ思いついてしまいました(「空に浮かんでいたものの話」と「あとからぞっとした話」と「猫の話」)審査員だから書きませんけど。



それ以外の応募条件。




■字数
長さは1000字まで。
短い分にはいくら短くても構いません。トライアルのときに「2000字以内」って書いたら、長過ぎたらしく、みんな「序文」と「あとがき(というか教訓とか反省とか)」を書いてきました。申し訳ないけど、そういうのは要りません。ショート・ストーリーの要諦は「いきなり始まって、ぶつんとカット・アウト」です。ロックンロールと一緒。



■応募資格:年齢・性別・職業・国籍は問いません。ただし、プロジェクトはあくまで「ジャパン」ですから、そのストーリーを通じて、日本の「何か」が浮かび上がるものであることが条件です。


■締め切り:随時募集しております


■選者:ぼくと高橋源一郎さんが審査します。そのほか誰か「やってもいいよ」という奇特な人がいたら、その人にもお願いすることがあるかもしれません。


■発表:本サイトにて随時発表させていただきます。書籍化する(ことがあったら)収録させていただくことがあります。


■注意:謝礼はお出しいたしません(すみませんね)。書籍化した場合は収録させていただいた方に一冊ずつ送らせていただきます。


■原稿は返却いたしません。また、選考に関するお問い合わせには応じられません(「なんで落とした」なんて言われてもね)。


■応募方法についてはamazonの方をみてください。
みなさまのご応募、心よりお待ちしております。

ポール・オースターは「人はみな、面白い話をいくつか知っているものなのですから」と書いていますけれど、これは日本人の場合はどうかな~とぼくは実は思っているのです。
いろいろなバックグラウンドをもっている、性別も年齢も身分も立場違うひとたちが「たまたま」ある場所に行き会わせて、一夜をともにするときに「とっておきの話」をするというのは、『デカメロン』や『カンタベリー物語』以来のヨーロッパ文学の定番ですけれど、アメリカにもその伝統は脈々と伝わっているんじゃないかと思うんですよ。
移民の国ですしね。



そもそもわりと冒険的な気質の人たちが集まって作った国ですから、「奇想天外な経験談」には事欠かない。
マーク・トウェインとか、メルヴィルとか、ポウなんかも、そういう「ホラ話」の伝統を引き継いでいるんじゃないかな。
現代文学でも、フィッツジェラルドの「ダイヤモンドの山」の話なんかも、ある意味その「ホラ話」系かもしれないです(フィッツジェラルドはもう「現代文学」とは言わないか・・・)



だから、そういう話の仕込みはわりとふだんからまじめにやるという「ストーリー・テリング」のための訓練はしているんじゃないですかね。
それに比べてわが国の人々はどうか。
「とっておきの話」の二つ三つはいつでも出せるという人はあまりいないんじゃないでしょうか。
パーティジョークとか、日本人やらないでしょ。
妙に器用にそういうジョークを連発する人って、日本だと「怪しい人」だと思われません?
でも、ぼくはそれはそういう感覚でいいんじゃないかと思ってもいるんです。
もしかすると日本人が得意なのは「オチのない話」じゃないって思うんですよ。
ぜんぜんパーティジョーク向きじゃない話。



「は?その話のどこが面白いの・・・」というような話を妙にたいせつに抱え込んでいるというところがむしろ「にほんじん的」ということはないのでしょうか。
というようなことを考えています。
どんどんお話送ってくださいね。
源ちゃんとふたりで待ってます。



uchida : 2010年05月28日 「それ」の抑止力 (内田樹の研究室から転載しています)

それの抑止力

共同通信の取材。参院選についての見通しを訊かれる。
月曜にAERAのみなさんともその話をしたばかりである。



民主党は議席を減らすが、「大敗」というほどではないだろう。自民党はさらに議席を減らし、谷垣総裁の責任問題に発展し、党の分裂が進む。公明党も政権与党という条件がなくなったので議席減。「みんなの党」に多少議席をふやす可能性があるが、投票率が低いだろうから、「風が吹く」というような現象には達しないだろう。
というあまりぱっとしない見通しを語る。



見通しがぱっとしない理由は民主党政権が「期待したほどではなかった」という思いはあるが、「じゃあ、何を『期待』していたんだ?」と訊き返されると、有権者も政治家もだれも
が明確な中長期的構想を語れないからである。




民主党だって「やろう」としたのだが、うまくできなかったのである。それを民主党の政治家たちがとりわけ無能であったと見るか、「やれる」と思って取り組んだ政策的課題が「意外に根が深い」ことに気づいたと見るかによって、現政権に対する評価は変わるだろう。



私は現代日本の政治家のレベルが政党ごとに大きく差があるとは思わない。
どこの政党も悪いけど「似たようなもの」である。



だから、民主党政権が「期待はずれ」だったのは、政権交代前は「できる」と思っていた政策的課題が「できない」ものであったことに気づいた、という可能性の方を採るのである。
普天間基地問題は「大山鳴動して鼠一匹」的なアンチクライマックスな終わり方をしそうである。



「基地の県外移転」の主張が一気にトーンダウンしたのは鳩山首相が沖縄を訪れたあとの5月4日に記者団に対して述べた次の言葉がきっかけである。



「昨年の衆院選当時は、海兵隊が抑止力として沖縄に存在しなければならないとは思っていなかった。学べば学ぶほど(海兵隊の各部隊が)連携し抑止力を維持していることが分かった」



この言葉に対してマスメディアは一斉に罵倒を浴びせた。
いまさら抑止力の意味がわかったなんてバカじゃないか、と。
私はこのコメントを「不思議」だと思った。



アメリカ軍の抑止力や東アジア戦略のだいたいの枠組みについては、官邸にいたって専門家からいくらでもレクチャーが受けられたはずである。
しかし、そのときのレクチャーでは「分からなかった」ことがあった、と首相は言ったのである。



「抑止力の実態」について、首相は沖縄で米軍当局者から直に聞かされたのである。
聞かされて「あ、『抑止力』って、そのことなのね。あ、それは政権取る前は知るはずがないわ・・・」とびっくりしたのである。



だとすれば、そのときの「抑止力」という語が意味するのは、論理的には一つしかない。
ヘリコプターとか揚陸艇とかいうのは抑止力の「本体」ではない。
考えれば当たり前のことである。



日本が想像できるとりあえず唯一の「現実的な」軍事的危機は「北朝鮮からのミサイル攻撃」であるが、それに対してヘリコプター基地なんかあっても何の防ぎにもならない。



「朝鮮半島有事」のときにそんなにヘリコプターが必要なら、何よりもまず韓国内の米軍基地に重点配備すべきであろうが、韓国内の基地は2008年から3分の1に縮小されている。
休戦状態であり、いまだに「宣戦布告」というような言葉を外交官が口走る一触即発の国境線近くの基地を「畳む」ことは可能だが、沖縄の基地は「畳めない」としたら、理由は一つしかない。



韓国内の基地には「置けないもの」が沖縄には「置ける」ということである。
それ」が抑止力の本体であり、「それ」が沖縄にあるということを日本政府もアメリカ政府も公式には認めることができないものが沖縄にはあるということである。
そのことを野党政治家は知らされていない。



政府の一部と外務省の一部と自衛隊の一部だけがそのことを知っている。
それ」についての「密約」が存在するということはもう私たちはみんな知っている。
私たちが知らされていないのは「密約」の範囲がどこまで及ぶかということだけである。
だから論理的思考ができる人間なら、沖縄の海兵隊基地に「
それ」が常備されている蓋然性は、そうでない場合よりもはるかに高いという推論ができるはずである。



それ」があるせいで北朝鮮は日本へのミサイル攻撃を自制している。中国は近海での軍事行動を「今程度」に抑制している。



そういう説明を聞かされた総理大臣は「『それ』が沖縄になかった場合の東アジアの軍事的バランスについての確度の高いシミュレーション」を提示する以外に米軍に「出て行ってくれ」ということができないということに気がついた。



それで「出て行ってくれないか」という言葉を呑み込んでしまったのだ。
それ」が沖縄に常備されているということは自民党政権時代からの密約の結果なのだから、カミングアウトしても民主党政権の瑕疵になるまい、と首相も一瞬思ったかもしれない。



でも、それをカミングアウトすることは、日本がアメリカの軍事的属国であり、主権国家の体をなしていないということを改めて国際社会に向けて宣言することに他ならない。
できることなら、体面だけでも守りたい。



何よりも、「それ」は公式には「ない」ことになっている。
いずれ水面下の交渉で、「
それ」が沖縄から撤去された場合でも、「もともとないはずのもの」がなくなっただけだから、誰にも報告する必要がない。



誰にも報告する必要がないのだから、「それ」が沖縄に「まだある」のか「もうない」のかは北朝鮮にも中国にもロシアにもわからない。
「パノプティコン効果」というものがありうる。



あるのかないのかわからないものについては、それが危険なものであれば、とりあえず「ある」ことにして対応する、という人間心理のことである。



それ」について黙っていれば、「日本国内には強大な抑止力があるかもしれない(ないかもしれないけど)」という疑心暗鬼の状態に東アジア諸国を置くことができる。
うまくすれば、「
それ」がないまま何十年か、「ある」ふりをして「はったり」をかますことができる。



私がいま中国人民解放軍の情報担当将校であったら、このときの鳩山総理の「抑止力」発言をそのような文脈で解釈することが「できる」というレポートを書いて上司に提出するであろう。



上司はそのレポートを見て、渋い顔をしてこう言うであろう。
「ま、そうだな。ふつうはそう考えるな。ほんとうは『
それ』はないのかも知れない。ずっとなかったのかも知れない。ないのに、『それ』があるように見せるというフェイクを演じている可能性は排除できない。日本人にはそんな演技力はないけれど、アメリカ人にはある。まあ、万が一ということがあるから、いちおう『それがある』ということにして対日戦略プラン立てておくか・・・それに『それ』がある可能性が高いというふうに上には言っておいた方が人民解放軍の予算枠が大きくとれるし」



と中国人は考えているわけですね、おそらくは・・・というような説明を鳩山首相は沖縄で米軍のインテリジェンス担当者からレクチャーされたのではないか、と私は想像している。
なるほど抑止力というのはそういう心理の綾も「込み」で展開しているのか・・・と知って首相は腕を組んで考え込んでしまった。



その果てに出た言葉が「学べば学ぶほど連携し抑止力を維持していることが分かった」というものである。



新聞は(海兵隊の各部隊が)という言葉を勝手に書き加えたが、たぶん「連携」しているのは、そんなかたちのあるものではない。
抑止力というのは一種の心理ゲームである。



それ」があるかないか判然としないというときに、抑止力はいちばん効果的に働くのであると米軍のインテリジェンス担当者に聞かされて、首相は「不勉強でした・・・」と頭を下げたのである。
じゃないかと思う。



その場にいたわけじゃないから想像だけど。
残念ながら、私の推理を裏書きしてくれる権威筋の人はたぶん日米中通じてひとりもいないはずである。そうしたくても、できないし。



でも、私と同じように推論して、その上で何も言わずに黙っている人は日本国内に30万人くらいはいるはずである。

uchida : 2010年06月01日 さよならアメリカ、さよなら日本 (内田樹の研究室から転載しています)

さよならアメリカさよなら日本



新聞の電話取材で、またまた米軍基地のことを訊かれる。
グアムへの米軍基地の移転コストを日本政府が肩代わりしたり、「共同開発」名目で米軍の支出を予算的に「思いやったり」することについてどう思うかというお訊ねである。
しかたないんじゃないの、とお答えする。



「厭です」といって払わずに済むものなら、とっくにそうしているはずである。
「厭です」と言えない事情があるから、泣く泣く「みかじめ料」を出しているのである。
もちろん近代国家同士のあいだの話であるから、別に米軍が日本にドスをつきつけて「払わんと痛い目にあわせるど、こら」と凄んでいるわけではない。



「払わないと、そちらさまがとっても『たいへんな目』に遭われるのではないでしょうか。いや、われわれはまあよそさまのことですから、どうだっていいと言えばどうだっていいんですけど、まあそちらさまとも先代からの長いお付き合いですから、老婆心ながら・・・」と言われているのである。




米軍に日本から出て行って欲しい。
これは沖縄県民と日本のそれ以外の地域の「ふつうの人」の正直な気持ちである。
それなのにアメリカは「出て行かない」。
別に無理強いに居座っているわけではない。
最後の最後で、日本政府が「やっぱりいてください」と懇願しているというかたちになってこうなっている。



なぜ、最後の最後で日本政府が「やっぱりいてください」と懇願するのか。その理由を記者のかたに懇々とご説明する。
理由は「アメリカ軍がいなくなったあと」についてのシミュレーションをすればわかる。
アメリカは沖縄に核兵器を置いている。



もちろん、公式には誰も認めないが、これは「沖縄に核はない」と考えるよりも蓋然性が高い推理であるので、私はこれを採用する。
別に政治的立場とは関係ない。純然たる「蓋然性」の問題である。
「沖縄には核がある」と想定した方が「ない」と想定するより、「説明できること」の数が多いので、採択するのである。



「ない」と想定した方があれこれの日米両政府の「よくわからないふるまい」をよりうまく説明できるのであれば、私は喜んで「沖縄には核はない」という言明を支持するであろう。



沖縄には核兵器がある。
65年前から、ずっと、ある。



それが東アジアにおけるアメリカの「抑止力」の正体である。
だいたい「抑止力」というのはもっぱら「核抑止力」という言い方でしか使われない言葉である。



もしかすると「あるように見せかけて、実はない」のかも知れない。
けれども、「あるように見える」せいで、「沖縄の核」はソ連、中国、北朝鮮などに対しては十分抑止的に機能してきた。



たぶん「あるように見えるけれど、ない」というのが核抑止力の使い方としてはいちばんクレバーなのだろう(あると、盗まれたり、爆発したりする可能性があるし、膨大な管理コストがかかるけれど、「あるように見えて、実はない」のなら、リスクもコストもゼロだからである)。



だから、日米としては理想的には「疑心暗鬼の眼にはあるように見えるが、実はない」状態にもってゆきたい。
けれども「いつ」そのシフトがあったかがわかっては身も蓋もない。



「あるようなないような状態」をできるだけ長く引き延ばしたい。
だから、沖縄からの米軍基地の撤去は「抑止力」戦略を取る限りは不可能な選択になる。
日本には憲法九条があり、(空洞化したとはいえ)非核三原則がある。



米軍基地のない日本列島には100%の確率で「核兵器はない」と推理できる。
現在の沖縄に核兵器はないかもしれない。でも、「あるかもしれない」と思わせることには成功している。



日米の従属関係を勘案すると、日本政府が自国領内に他国軍が核兵器を配備しているかどうか「知らない」ということは大いにありうる。
ふつうの主権国家ではありえないことが、日米関係なら「ありうる」。
中国も北朝鮮もそれはよくわかっている。



たぶん米軍関係者は鳩山首相に沖縄でこう囁いたのではないかと私は想像している。
「首相、ここだけの話ですけどね、実は沖縄には核兵器なんか、ないんです。でも『あるように』見せかけている。そちらだって、憲法九条を維持し、非核三原則を掲げているお国だ。その上で『核抑止力』を機能させようとしたら、どう考えても、『ないけど、あるように見えている』という状態がベストでしょ。でも、これがあなた、国外に米軍基地が全部移転してごらんなさい。『ない』ということが世界中にわかってしまうじゃないですか。そのあとも引き続き列島に『核抑止力』を機能させようとしたら、日本政府のオプションは事実上一つしかありませんよ・・・」



そう、オプションは一つしかない。
それは(考えたくないが)自主核武装である。
憲法九条二項を廃棄し、非核三原則の看板をおろして、核武装する。
それ以外の選択肢は論理的にはない。



通常兵器で「核なみ」の抑止力を担保しようとしたら、「先軍主義」を採用して、医療も教育も福祉もすべて後回しにして軍備を充実させ、徴兵制の導入も考慮せねばならないが、そのような強引な政策を貫徹できるだけの体力は今の日本にはない。だいいち、そのような政策を掲げた政党が選挙で勝てる見込みはない。



核兵器はコストの最も安い兵器である(だから世界中の貧乏国が争って核武装しようとする)。
だから、日本の社会システムを「このまま」のレベルに保ち、かつ十分な抑止力をもつためには核武装しか選択肢がない。



理論的にはそうだが、そのような国民的合意が平和裡に形成される確率もまたない。
ないないづくしである。
護憲派は死に物狂いで反対運動を組織するだろうし、左翼勢力も一斉に息を吹き返すだろう。まさしく国論を二分するような騒ぎになり、政治不信は募り、経済も停滞し、国民のあいだの相互信頼は崩れ、日本社会は回復不能の傷を負い、にもかかわらず核武装への合意形成には至らない。だいいち「核なき世界」をめざすオバマ大統領が許すはずがない。



つまり、「核武装のための合意形成」は「試みるだけ無駄」なのである。
通常兵器による抑止力形成はコスト的に不可能。コスト的に引き合う核武装は国論の統一ができないので不可能。
つまり、抑止力戦略の有用性を信じる限り、私たちには「現状維持」しか打つ手がないのである。



そのうちもしかしたら、アメリカの覇権が瓦解して、アメリカが東アジアから撤退し、軍事的緊張そのものが消滅するかも知れない。中国の民主化が進んで人民解放軍の影響力が抑制されるかもしれない。北朝鮮の独裁体制が崩壊して、南北統一民主国家が半島にできるかもしれない。オバマ大統領の「核なき世界」構想に世界中の国が賛同して、核兵器の存在しない世界になるかもしれない。



何が起こるかわからない。
鳩山首相はたぶん沖縄で米軍関係者にこう言われたのである。
「いや、どうしても出て行けとおっしゃるなら、われわれも沖縄から出て行きますよ。でもね、フェイクではあれ核抑止力がなくなった日本列島の国防について、あなた何かプランお持ちなんですか?核武装はおたくの国内事情からしてありえないでしょう。われわれだってそんなもの日本に許すわけにはゆかないし。『東アジア共同体』?おお、結構ですな。でもね、日米安保条約を維持したままの東アジア共同体構想なんか中国が呑みませんよ。ということは、あなたね、われわれが沖縄から出て行くというのは、日米関係は『これでおしまい』ということなんですよ。そのへんのことわかった上で、『国外』とかおしゃってたのかなあ・・・いや、そんな青い顔しないで。われわれだってヤクザじゃないんだ。いつまでも居座る気じゃないですよ。東アジアの軍事的緊張が緩和したらですね、いつでもおいとまする用意はある。その日をわれわれもあなたがたも待望していることに変わりはない、と。ですからね、日米手を取り合ってアジア全域が民主化される日をともに待ち望もうではありませんか。」



そう聞かされて、「ふはあ」と深いため息をついたのではないか、と私は想像するのである。
それくらいの想像は新聞を斜め読みしているだけでもできると思うけど、と記者にはお答えする。



われわれは外交的なフリーハンドをもった主権国家ではない。
繰り返し書いているとおり、日本はアメリカの軍事的属国である。
そのことを直視するところから始めるしかない。
「何ができないのか」を吟味することなしに「何ができるのか」についての考察は始まらない。


uchida : 2010年06月02日 思考停止と疾病利得 (内田樹の研究室から転載しています)

思考停止と疾病利得



政治向きのことをブログに書くと、しばらく接続が困難になるということが続いている。
べつにサイバー攻撃とかそういうカラフルな事態ではなく、一時的にアクセスが増えて、「渋滞」しちゃうのである。
それだけ多くの人が政治についてのマスメディアの報道に対してつよい不信感をもっており、ミドルメディアに流布している現状分析や提言に注目していることの徴候だろうと私は思う。





今回の普天間基地問題をめぐる一連の報道によって、私は日本のマスメディアとそこを職場とする知識人たちはその信頼性を深く損なったと思っている。
新聞もテレビも、論説委員も評論家も、「複雑な問題を単純化する」「日本の制度的危機を個人の無能という属人的原因で説明する」という常同的な作業にほぼ例外なしに励んでいた。
ほとんどのメディア知識人が「同じこと」を言っているのだから、「他の人と同じことを言っていても悪目立ちはしないだろう」という思考停止がこの数ヶ月のメディアの論調を支配している。



私はその時代を知らないけれど、「大政翼賛会的なものいい」というのはたぶん同時代の人々にこのような種類の徒労感を及ぼしたのだろうと思う。



だが、私はそれを彼らの「知的怠慢」というふうに責める気にはならない。
「複雑な問題を属人的無能という単純な原因に帰して説明した気になる」というのが思考停止の病態であると言っている当の私が「これはメディア知識人たちの知的怠慢という属人的無能のせいである」とその病のよってきたるところを説明したのでは、「ミイラ取りがミイラ」になってしまう。



これだけの数の人々が一斉に同一の病態を示すときには、属人的無能には帰しがたい「構造的理由」があると推理した方がいい。個人の決断を超えた「集合的無意識レベル」でのバイアスがかかっていると考えた方がいい。



「それは何か」を考える方が、知性が不調になっている個人をひとりひとり難詰して回るよりリソースの配分としては経済的である。




メディア知識人たちは何について思考停止に陥っているのか。
「知識人」というのは「一般人より多くの知識・情報をもち、一般人より巧みに推論する」という条件をみたすことで生計を立てている。



だから、「知識人」のピットフォールは「自分が構造的にそこから眼を背けていること、それが論件になることを無意識的に忌避していること」は何かという問いを自分に向けることができないということである。「自分は何を知っているか」を誇示することに急であるため、「自分は何を知りたくないのか」という問いのためには知的リソースを割くことができない。そのような問いにうっかり適切に答えてしまったら、自分の知的威信が下がり、世人に軽んじられ、仕事を失うのではないかと彼らは怖れている。



だが、たいていの場合、「それを主題化することにつよい心理的抑制がかかる論件」の方が「それについてすらすら語れる論件」よりも自分がなにものであるかを知る上では重要な情報を含んでいる。



マスメディアを覆っているこの「構造的無知」は、日本人たちの「自分たちがほんとうはなにものであるかを知りたくない」という欲望の効果であると私は思っている。



前に未知のアメリカ人からメールで普天間問題についての見解を訊かれたことがあり、そのとき私はこんな返事を書いた。





「喫緊の仕事は東アジアにおける米軍のプレザンスが何を意味するかを問うことだと私は考えています。

しかし、日本の『専門家』たちはアメリカのこの地域における外交戦略についての首尾一貫した理解可能な説明をすることと決して試みません。彼らが問うのはどうすればアメリカの要求に応じることができるか、アメリカの軍事行動のために日本領土を最適化するためにはどうすればいいのか、それだけです。彼らにとってアメリカの要求は彼らがそこから出発して推論を始めるべき『所与』なのです。彼らは決して『なぜ?』と問いません。

私はこの症候を『思考停止』と呼んでいます。
日本人の過半数は、『アメリカ人はどうしてこんなふうにふるまうのか?』という問いを立てるたびにこの病的状態に陥ります。

この弱さは歴史的に形成されたもので、私たちのマインドの中に深く根を下ろしています。あの圧倒的な敗戦が、ことアメリカに関する限り、条理を立てて推論する能力を私たちから奪ってしまったのです。

おそらくあなたはそのような弱さを持ち続けることは不自然だとお考えになるでしょう。それは私たちに何の利益ももたらさないから。
けれども、私がこれまで繰り返しさまざまなテクストに書いてきたように、私たちはこの弱さから実は大きな利益を引き出しているのです。

私たちは自分に向かってこう言い聞かせています。私たちとアメリカのあいだには何のフリクションもない、すべてのトラブルは国内的な矛盾に由来するのだ、と。護憲派と改憲派のあいだの対立、平和主義者と軍国主義者の対立、豊かなものと貧しいものの対立、老人と若者の対立・・・などなど


このリストはお望みならいくらでも長くすることができます。
真の問題は日本国内における対立に由来する。そして、国内的対立が問題である限り、私たちはそれをハンドルすることができる。

『私たちはそれをハンドルすることができる。』
これが私たちがそれを国際社会に向かって、とりわけアメリカ人に向かって焦がれるほどに告げたい言葉なのです。

ご存知のように、普天間基地問題について、日本のメディアはアメリカの東アジア軍略についても、日本領土に基地があることの必然性についても、ほとんど言及していません。彼らは鳩山首相の『弱さ』だけにフォーカスしています。彼らは首相を別の人間に置き換えさえすれば、私たちはまたこの問題をハンドルできるようになる、そう言いたいのです。普天間問題はなによりも国内問題である、と。


日本人がアメリカ人と向きあうときに感じる『弱さ』はこの『想像的な』主権によって代償されています。私たちはアメリカとのあいだにどのような外交的不一致も持たない。すべての混乱は日本国内的な対立関係が引き起こしているのだ。そのようにして、私たちは私たちに敗戦の苦い味を私たちに思い出させるアメリカ人をそのつど私たちの脳から厄介払いしているのです。

私はこのような急ぎ足の説明では日本人がアメリカ人と向きあうときの奇妙なマインドセットを説明するのに十分であるとは思いません。しかし、私はあなたがこの説明で日本人を理解するとりあえずの手がかりをつかんでくれることを希望します。」



アメリカ人の友人がこの説明でどこまで事情を理解してくれたのか、私にはわからない。
「そのような説明をこれまで聞いたことがなかった」という感想が届いたが、「それで納得した」とは書いていなかった。



ややこしい話だから、メール一通で説明できるとは私も思っていない。
とりあえず言えるのはメディアの「集団的思考停止」は日本人の欲望の効果だということである。
この思考停止は「私たちは主権国家であり、私たちは外交的なフリーハンドを握っている」という言葉を国際社会に向けて、アメリカに向けて、なにより自分自身に向けて告げたいという切なる国民的願いが要請しているのである。



事実を知れば自己嫌悪に陥るとき、私たちは自分自身についてさえ偽りの言明を行うことがある。
それは人性の自然であるので、それを咎めることは誰にもできない。
けれども、散文的な言い方を許してもらえば、自己欺瞞が有用なのは自分を偽ることによって得られる「疾病
利得」が、適切な自己認識のもたらす自己嫌悪の「損失」を上回る限りにおいてである。



疾病利得は「自分が詐病者であることを知っている」という「病識」の裏づけがある限りかなり長期に維持できる。けれども、自分を偽りながら、かつそのことを忘れた場合、それがもたらす被害は疾病利得をいずれは上回ることになる。



私たちはもうその損益分岐点にさしかかっているのだと思う。
今回のマスメディアの「集団的思考停止」は私たちがすでに損益分岐点を一歩超えてしまったことのおそらくは徴候である。

uchida : 2010年06月03日 首相辞任について (内田樹の研究室から転載しています)

首相辞任について


鳩山首相が辞任した。
テレビニュースで辞意表明会見があったらしいが、他出していて見逃したので、正午少し前に朝日新聞からの電話取材でニュースを知らされた。
コメントを求められたので、次のようなことを答えた。



民主党政権は8ヶ月のあいだに、自民党政権下では前景化しなかった日本の「エスタブリッシュメント」を露呈させた。
結果的にはそれに潰されたわけだが、そのような強固な「変化を嫌う抵抗勢力」が存在していることを明らかにしたことが鳩山政権の最大の功績だろう。



エスタブリッシュメントとは「米軍・霞ヶ関・マスメディア」である。
米軍は東アジアの現状維持を望み、霞ヶ関は国内諸制度の現状維持を望み、マスメディアは世論の形成プロセスの現状維持を望んでいる。
誰も変化を求めていない。



鳩山=小沢ラインというのは、政治スタイルはまったく違うが、短期的な政治目標として「東アジアにおけるアメリカのプレザンスの減殺と国防における日本のフリーハンドの確保:霞ヶ関支配の抑制:政治プロセスを語るときに『これまでマスメディアの人々が操ってきたのとは違う言語』の必要性」を認識しているという点で、共通するものがあった。


言葉を換えて言えば、米軍の統制下から逃れ出て、自主的に防衛構想を起案する「自由」、官僚の既得権に配慮せずに政策を実施する「自由」、マスメディアの定型句とは違う語法で政治を語る「自由」を求めていた。
その要求は21世紀の日本国民が抱いて当然のものだと私は思うが、残念ながら、アメリカも霞ヶ関もマスメディアも、国民がそのような「自由」を享受することを好まなかった。



彼ら「抵抗勢力」の共通点は、日本がほんとうの意味での主権国家ではないことを日本人に「知らせない」ことから受益していることである。
鳩山
首相はそのような「自由」を日本人に贈ることができると思っていた。しかし、「抵抗勢力」のあまりの強大さに、とりわけアメリカの世界戦略の中に日本が逃げ道のないかたちでビルトインされていることに深い無力感を覚えたのではないかと思う。


政治史が教えるように、アメリカの政略に抵抗する政治家は日本では長期政権を保つことができない。
日中共同声明によってアメリカの「頭越し」に東アジア外交構想を展開した田中角栄に対するアメリカの徹底的な攻撃はまだ私たちの記憶に新しい。
中曽根康弘・小泉純一郎という際立って「親米的」な政治家が例外的な長期政権を保ったことと対比的である。



実際には、中曽根・小泉はいずれも気質的には「反米愛国」的な人物であるが、それだけに「アメリカは侮れない」ということについてはリアリストだった。彼らの「アメリカを出し抜く」ためには「アメリカに取り入る」必要があるというシニスムは(残念ながら)鳩山首相には無縁のものだった。
アメリカに対するイノセントな信頼が逆に鳩山
首相に対するアメリカ側の評価を下げたというのは皮肉である。


朝日新聞のコメント依頼に対しては「マスメディアの責任」を強く指摘したが、(当然ながら)紙面ではずいぶんトーンダウンしているはずであるので、ここに書きとめておくのである。